2017年 1月 の投稿一覧

何度も何度も

個別指導塾の学習空間、八千代台教室・八千代大和田教室の川田です。

みなさんこんにちは!
最近は暖かい日もだんだん増えてきて冬もそろそろ終わる気配がみえてきました。しかし、まだまだ寒い日は寒い!鍋がおいしい・・・。(笑)
突然ですが、私は最近時間がある時に20年以上昔のゲーム「ロックマンX」をやっています。(なぜ今更ロックマンをやっているかは教室で聞いてください。笑)実はロックマンXをプレイするのは初めてなのですが、難しいです・・・。こんな難易度の高いゲームを当時の小学生がやっていると思うと驚きを隠せません。残すはあとラスボスのみとなりましたが、ここまで来るのに何度も何度もゲームオーバーになりました。繰り返しやっていく中でだんだんコツをつかんでくるものですね。
中学生や高校生のみなさんも残すはあとラスボス(入試)のみですね。ここまでくるのに何度も諦めかけてきたかと思います。しかし、何度も何度も繰り返しやっていく中でできるようになった問題や単元もあるはずです。まだできないところは最後の最後まで諦めてはいけません。今までのペースで、一つひとつやっていくしかないんです。あと少しで終わりです。耐え抜きましょう。

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魔滅まき

個別指導塾の学習空間、佐倉臼井・四街道東教室の桑原です。

新年初のブログです。あけましておめでとうございます。
中学生の皆さんはそろそろテスト3週間前ですね。ワークを計画的に進めていきましょう。

さて話は変わって来週は節分ですね.ここで節分のうんちくを1つご紹介したいと思います.
節分とは,春を迎える立春の前日であり,季節の分かれ目という意味があります.
昔は冬から春に変わるときを1年の変わり目と見ていたので,今で言う「大晦日」のような意味であったそうです.
古来より日本では季節の変わり目に邪気が集まるとされていたので,その邪気を様々な方法で祓っていく行事が多くありました.
その1つが今で言う節分の「豆撒き」です.

豆は穀物の精霊が宿っている神聖なものとして見られてたので,豆まき以外に神事にも使われていました.
また,豆には魔を滅するという意味で「魔滅」と漢字が当てられて邪気を追い払うものとして考えられていたそうです.
そして投げる豆は炒ってあるものでなくてはなりません.
これはなぜかというと,「魔滅を射る」という語句にもじったからではないかと言われています.

受験生の皆さんはラストスパートですね.たくさん不安や迷う時期ではあると思いますが,焦らず現状維持を心がけて走りきりましょう.

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もうすぐ入試

個別指導の学習空間.八千代大和田・佐倉臼井教室の小西です.

先日,西尾幹二の全集を読んでいて見つけたのですが(ちなみに西尾幹二と三島由紀夫の全集は教室に置いてあるので読みたい生徒は自由に読めるようになってます.いれば,ですが),ニーチェの代表作として知られる『ツァラトゥストラ』の中に,以下のような一文があります.

「私は読書をする怠け者を嫌う」

ここ最近で最も衝撃を受けた言葉です.読書とはあくまで己の目的のための手段にとどまるべきであって,読書自体が目的のように扱われている現代社会を痛烈に批判した言葉です.元来,知性とは行動でした.優れた知性として知られる偉人は著書を残していません.キリストや孔子,ソクラテスは著書を書いていません.書いていたかもしれませんが,残っていないし伝えられていないということですが.これらの偉大な知性はその人格と行動をもってして人々を導いたのでした.まさしく知性=行動=生き方という人たちです.書物に書かれたことから我々は思想を学ぶことはできません.言葉はしょせん言葉であって,思想や生き方を言葉にした瞬間にそれは思想や生き方のフレームでしかなく,「血の部分」が削ぎ落とされているというわけです.先人の歴史や思想を我々は書物を通してしか学べませんが,それはあくまで書物であって,言葉でしか無いのであって,実際にその思想や生き方を知ろうとするならば,その人自身がそれを書いた思想家のような生活を,生涯を通して実践しなければ真に理解することはできないのだと.
今の世には書物が溢れています.刊行数で言うと歴史上でもっとも書物が溢れている時代と言ってもいいでしょう.しかしその殆どは大した内容もないものばかりですし,すぐに忘れ去られていくものがほとんどでしょう.そもそも本を書くことがその人の仕事に数えられるのが現代社会です.本を書くこと,読むことが目的化しても仕方のない情況なのだとも思います.
また,西尾幹二は次のようにも言います.「真に優れた書物は読者にとって毒になる」と.これは僕にはまだ真にその意味は分からないのですが,『ツァラトゥストラ』は上の言葉からも分かるようにまさにそのような書物であると言えます.何かを学ぼうと本を読んでいるときにこれを言われるのですから,その衝撃はとてつもないものであり,まさに読者にとっては「知らなかったほうが幸せ」なことであり,毒でしかないのだと思います.私自身も本を読んでいるときにこの言葉に出会ったわけであって,その気持は未だに整理が付きません.「ではどうしろというのだ!?」というどうしようもない感情を抱くしか無いのです.

 良い本かどうかの判断基準というのはその本を読んだことによって悩むことができるか,自分の今までの行動や思想と照らし合わせて「俺のしてきたことってクソなんじゃないの?」と振り返らざるをえないような何ものかを感じるか.そういうところにあると思います.明快な答のようなものが書いてあって,爽やかな読後感の中で「あーいい本読んだ.ためになったわぁ」といえるような本はあまりいい本ではないのだと.そういうことを気付かされました.

 さて,そんなことはどうでもよくて,もうすぐ入試ですね.私立高校の受験はほぼ終わり,合格したという生徒の声も聞きました.大学受験もあと少し.やるだけのことはやってきたつもりです.少しでも上に,もう少し,もがいてみましょう.
また,中2生ももうすぐ中3です.佐倉臼井教室では来年度,新たな挑戦をします.正確にことが決まり次第保護者の皆様にはお知らせできると思います.八千代大和田教室でも何かしたいと考えているのですが,まだタイミングが揃わないような状態です.上手くいくかはまだわかりませんが,付いてきてくれればきっと何かをつかめると思います.

今年の失敗は来年に活かせる.しかし,今年の生徒の受験はもう返ってこない.どれだけ反省しても,戻ってこないのです.生徒にとっては,頑張った事自体が成長の糧になり,血となります.しかし講師は,こうした狭間で悶々と身を焼かれなければならないのでしょう.きっと,これから,少しずつ.

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想像を掻き立てる勉強をしよう

明けましておめでとうございます。学習空間
八千代台教室・習志野藤崎教室の高橋です。

ちょっと前に、英語関係の本を読んでいたら「面白いこと」が書いてありました。 要約すると以下のようなことです。

動詞を現在形で使う際は、主語が三人称単数であれば語末に -s をつける。これは現在形の動詞が「繰り返し行われる習慣」を表すので、「動詞を複数形」にしたものである。ではなぜ、主語が複数形の時は -sをつけないか、それは「主語が複数」ということは同時に「動作が複数あること」も表し、わざわざ –s を付けなくても「動詞の複数形」であることが伝わるからだ。

!!??!とは思いましたが、冷静に考えることにしてみました。確かに、こんな教え方は中学校では絶対していませんし、生徒が「動詞の複数形」なんて言い出したら、やっぱり大変です。でも、一つの説明の仕方、説明の可能性として、こういうものを頭ごなしに排除するべきではありません。

まず、納得できる点を挙げます。

1.動詞の現在形は「繰り返し行われる習慣」を表す。これは高校英語ではよく知られていることです。「現在形」という名前ですが、「今だけ○○する」ではなく、その真意は「過去も現在も未来もいつも○○する」です。そしてこの理由から -s は動詞の複数形である。ふむふむ、確かにそう言えなくもない。

2.「主語が複数形」ならば、その時点で「動作」が複数あることは明らかだから、わざわざ –s を付けなくてもいい。これも一般動詞の疑問文や否定文を考えれば理解はできます。「前に”did” って出てきたら、それだけで過去の話だってわかるから後ろの動詞は過去形にしなくていい」ってやつです。 ”does” の場合もそうでしたよね。また、疑問文に対して答える際は ”Do you play tennis? – Yes, I do.” のように、返答の文ではplay tennis をdoにまとめてしまうのが普通です。英語はエコ志向な言語でして、前に出てきた語から得られた情報があれば、後ろで同じ情報を繰り返さないのです。

おや??なにやら、だんだん説得力が出てきましたね。

とここで、予想される反論もあげましょう。

Q. じゃあなぜ、you の時と I の時は現在形動詞に -s を付けないの?単数じゃん?

以下はあくまで私の想像ですが、その理由を書きたいと思います。

youに関しては比較的簡単に説明できます。というのも、”you”はもともと「二人称複数」を表す語だったからです。「二人称単数」を表すには ”thou” という語が別にありました。ところが、ある事情から、相手が一人の場合でもyouを使うようになったのです。実は昔イギリスの国王は自分のことを ” I ” ではなく ”we” と言っていました。この”we” の用法は ”Royal We” と呼ばれています。

理由は諸説ありますが、私はイギリスの国王は何かをするときに議会の承認を得なければならなかったことが関係していたと思います(イギリスでは1215年以降、マグナカルタによって王権が制限されましたから)。だとすれば、イギリス国王が自分一人のことを ”we” と言いたくなる気持ちもわかりますね。「ちゃんと議会のみんなも俺に賛成してるんだ!!」って気持ちですかね。そんなわけで、対応する二人称の呼びかけ ”you” も本来は複数形なのに、単数相手(もちろんこれは「国王」です)に使うようになり、その名残が現在も残ってるのです。その証拠に you のbe動詞は are です。まとめると、you はもともと複数形だから動詞に -sを付けない。

では、I はどうなのか。これも想像の域を出ませんが、きっとイギリスの国王の歴史に関係していると思います。英語史の研究では、一人称単数の現在形動詞が今の形になったのは16世紀初頭だということがわかっています。これはちょうどドイツでルターが宗教改革をし、その波がヨーロッパ中に広まった時期です。イギリスはもともとカトリックの国ですが、当時の国王ヘンリ8世は、自分の権力を高めるために、カトリックとプロテスタントを強引に合体させ「イギリス国教会」を作りました。これによりイギリス国王を頂点とするキリスト教派が成立すると、国民は一気に王の権力の偉大さに圧倒されます(本当に偉大なのは国王ではなくその後ろ盾であるキリスト教なんですけどネ)。

イギリス国王が自分のことを ”we” と呼んでいたことはすでに述べましたが、イギリス国民も真似をして、「自分の行動は多くの人に支持されているんだ」感を出したくなったのでしょう。しかし、だからと言って自分一人なのに ”we” を使ったら、国王から国家反逆罪を言い渡され処刑されてしまいます。だから、言葉の上ではあくまで ” I ” のままにしておいたのではないでしょうか。

以上私の想像ですが、I とyou に-sがつかない理由を書いてみました。長くなりましたね。繰り返しますが、冒頭に述べたような説明は、普通学校では「間違い」とされています。なので、授業やテストでは絶対に真似をしないでくださいネ。でも個人的には、言葉なんてどうせ変わっていきますし、従って文法だって100%の正しさなんてありません。正しさを求めるよりも、「この文法が正しかったとしたら、こういう英語の世界が見えてくるんじゃないか」という楽しみを大切にしたいと思います。

ではまた~

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震えるその手で

個別指導の学習空間.八千代大和田・佐倉臼井教室の小西です.

冬期講習が今日で終わりました.8日間,長い時間塾で勉強するのはなかなか大変だったと思います.

しかし長時間塾にいることに慣れている生徒にとってはなんでもない8日間だったかと思います.

もうあと入試までは残すところわずか.大学受験生に至っては来週がセンター試験です.今までやったことを試験場で見せて帰ってくるだけです.

ほとんどの生徒にとって入学試験は人生で一番緊張する試験でありましょう.しかし,緊張したり心配するのは頑張ってきた証.どうぞ目一杯緊張してください.試験前日,どうぞ目一杯不安になってください.寝れなければ寝なけりゃ良いやくらいの気持ちで(寝れるなら必ず寝てくださいねw).

入試当日,
あなたの両親はどんな顔であなたを見送るでしょうか.
なんと声をかけるでしょうか.
試験場に向かうまでの間,あなたは何を思うでしょうか.
今までの努力に比例して,深く深く思うものがあるはずです.
様々な想いが去来するはずです.
その想いを全部自分の中に受け止めて,会場に入ります.

そして試験開始の合図とともに,震えるその手でペンを握ってください.

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