台風一過

個別指導塾の学習空間、習志野藤崎・西白井教室の竹村です。
夏休みも終わってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。

つらつらと理科の話書こうと思ってたら、今週は天気が酷かったですね…
幸い、私の見ている教室やその周辺は、聞く限りは対処可能な被害で済んでいました。
しかし、比較的近い場所に、日常生活ができないレベルの被害が出ているところもあります。

こういう時、我々の普段の生活が如何に色々なモノに依存しているか、なんて考えたりします。
例えば、建物などの物的被害がなく、関係あるのが停電だけであっても、深刻な状況に陥ります。
電気なんてなくっても死にはしない?
間違えなく、一昔前はそうだったはずです。200年余り前は、電気の存在すら公ではなかったでしょう。
世界には今も、電気を使わない・知らない人たちがいますが、もちろん絶滅などしてません。
ところが、今の日本では、本当に命に関わるケースすらあると聞きます。
それも、病気などで、生命維持に機械を使っているという、直接的なものだけではないようです。
冷房使用不可→熱中症など、状況次第でほとんど誰でも起こりえます。
即座には命に関わらなくても、加熱調理ができず食料が保存できない→飢えや食中毒による健康被害という線も。

興味深いことに、その危機的状況を解決する手段を、ほとんどの場合当人たちは持ちません。
言い換えましょう、自宅のある一帯が停電した時、その状況を解決できる人がまずいないのです。
私も電気の知識は最低限?ありますが、機械の知識は乏しく、まず復旧作業などできません。
(※技術的にではなく、社会的にできないってのも実際にはあります)
代替手段の用意でいいなら、もう少し可能性は広がりますが、エネルギーの保存則がありますからね…
結局、エネルギー源を用意できない事には、一時しのぎ以上のことはできないでしょう。
恐ろしいことに、停電だけで、結果的に食料の供給すら止まることがあるようです。
食べ物が買えないというだけで、身の回りに如何に食べ物が無い(または見つけられない)かが見えてきます。
水も同じくです。こちらの方が身の回りで見つけやすいですが、池や川の水はそのままだとお腹壊しそうですね…
つまるところ、救援を待つということに。

美しく書けば、これは今の日本が、かなり高度に互いを支えあっているということでもあるでしょう。
高度すぎて、専門外の人ではなかなか代理ができないという弱点でもあります。

私個人として
もし災害でそのような状況に陥ったなら、救援には期待せざるを得ないでしょう。
しかし、救援を待つのみというのは信義に反します。物的被害がありすぎて、寝床もないならとにかく…
物的な意味で備えると言うのはもちろんありますが、そのあとの話です。
でもそうなったら、何ができるというのでしょう…?

―夏休みに買ってみた雑草図鑑一冊とっても、見え方が変わります。

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