2015年 11月 の投稿一覧

助け合いの精神

皆さんこんにちは!
個別指導塾の学習空間、八千代台教室、八千代大和田教室の川田です!

最近寒くなりましたね・・・。
私はこたつを出してしまいました。
いけないとわかりつつも、こたつから出ることが出来ません。笑

それはそうと、
先日、ある中年の男性に話かけられました。
話を聞くと、
「ガス欠で車が動かない」
「自宅にお財布を忘れてしまい、お金がない」
「家族に助けを呼ぼうにも携帯の充電が切れてしまい電話が使えない」

・・・。

正直に言うと、「嘘っぽい」が第一印象でした。

しかし、その男性は本当に困っている様子です。
周りに人はいないし、交通量も多くない。

そこで、返ってこない前提で1000円札を手渡しました。
連絡先を交換し「明日返しに来ます!」とのこと。

結論から言うと、返しに来てくれました!!

「ありがとうございます!おかげで助かりました!」
あんなに感謝されると少し照れくさいですね。笑

もし、自分がその男性の立場であれば手を差し伸べてくれた人に対して本当に感謝すると思います。

幼いころ、よく親に言われたのが
「他人に迷惑をかけるな」
です。

それはとても大事です。

しかし、他人に全く迷惑をかけないことは不可能です。
人との関わりを全て断てばこの言葉の通り生きることは可能ですが、現実的ではありません。

「あなたも他人に迷惑をかけて生きている。だから他人に迷惑かけられても笑って許してあげなさい。」
どこの国か忘れてしまいましたが、こんな教育をしているそうです。

素敵な考えですね。

まさに「困ったときはお互い様」の精神だと思います。

困っている人に対して、手を差し伸べられるような人になりたいですし、
生徒にもそういう人間に育って欲しいです。

あ、詐欺にはくれぐれも気をつけましょうね。(笑)

千葉の塾なら個別指導の学習空間

言葉の彩 Part1

個別指導の学習空間,八千代大和田教室・四街道東教室の小西です.

今回だいぶごちゃごちゃしたことを書きます.
早いものでもう11月です.日曜日は同じ大学の後輩でもある,予備校講師の大塚先生とご飯をご一緒させていただきました.フリーでご活躍されている先生なのですが,やはりフリーでやっていくっていうのは生半可な覚悟ではダメなんだなと会話をしていてひしひしと感じました.私も精進しなければ.

話をしていた中で思ったのが,「言葉の機微」というものにもっと感性を磨いて欲しいということ.私の古い友人で大阪の中学校教員の方が,以前お話したときに「最近の中学生は皮肉を理解出来ない」と仰っていました.皮肉とは広い意味で考えれば一種の比喩表現のようなものですが,比喩というのが生徒にとって分かりにくいものなのか,と最近私も感じています.そもそも比喩というのはなぜ成立するのでしょうか?吉本隆明の「詩人論序説」の内容を自分なりに理解したものと織り交ぜながらお話してみます.「詩人論序説」は単行本化はされていませんので,興味のある方は『吉本隆明全著作集5』または『吉本隆明全集6』,あるいは中身が書き改められて同じ論考が内部に組み込まれている『言語にとって美とはなにか』を読んでみてください.また,僕はアマチュアですので吉本の論を正しく理解していない可能性が大有りです.「ほんとに読んだのかよこのすかぽんたん」とかは言われても「いやわい素人やし」って言うしかありませんのでそこんとこご了承下さい.

まず言葉には,それが生み出す像が各個人によって異なるということが言えます.「詩人論序説」の例を出すと,「恋人」という言葉によって喚起される像は人によってまったく異なります.ある人は小柄で美形な女性の像を思い浮かべるかもしれないし,ある人は大柄の角刈り男性を思い浮かべるかもしれない.初老の蝶ネクタイをした紳士かもしれないし,ブレザーを着たロングヘアーの女子高生かもしれない.どのような像を思い浮かべるかはその人の今までの人生経験に完全に依存します.しかしながら,それらの具体的像はすべて「恋愛の対象となる異性」という意味において共通しています.絵で書くとこんなふうになるかなと思います.

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数学やってる人には伝わると思いますが,写像の図ってイメージです.言葉そのものから各人の人生経験という写像でもってして言葉がその像へと移される.でその値域はぼんやりとした集合に囲まれていて,そこが言語の辞書的意味であると.

もう1つの言語表現の特徴としては,現実の像は無限に多くの言語表現を可能とするということが挙げられます.これも同じく「詩人論序説」の例をだしますと,例えば野ばらに白い花が一面に咲いている光景を視たとします.そうすると言葉に発する発しないを別にして何らかの言語表現をするわけですが,それは人によってそれぞれ異なります.例えば「白い」と感じる人もいれば「美しい」と感じる人もいる.香りを嗅ぎとって「いい香り」と感じるかもしれないし白い花に良い思い出のない人なら「醜い」や「汚らわしい」とさえ感じるかもしれません.また同じ人でも見るときによって感じ方は違うでしょう.このように自分の中から出てくる何者かを対象としていない言語表現を指示表出と吉本は言います(これも僕の理解です.間違ってたらすみません).このように視覚的対象が同一でも,無限に多くの関係性の側面から事象を把握し,表現することができます.八百万の神のようですね.そしてこの無限に多くの言語表現と先程の,各言葉から生み出される無限に多くの像が結びつき,これが比喩が成立する原因となるわけです.

とすると,比喩などを直感的に理解する言語能力が乏しいということは,この3つのどれかが育っていないということになるのかなと思われます.1つは対象の定義の理解,1つはそこから生まれる像の形成,もう1つはものを見聞きしたときの自己表出です.
まず対象の定義の理解.定義と大仰に書きましたが,要するにそれが何なのか知ってるかってことです.「花」なら何回か見れば「花」がどういうものかは分かるでしょうし,さすがにこれはクリアーです.てことは問題は残りの2つにあるのかなぁ.像の形成と自己表出.この2つは言語的・非言語的な経験に大きく依存すると思われます.自己流でも良いので何か言葉や事象を見聞きしたときに,何かしらの像を結べるか,自己の内部に印象を持てるか.分かりやすく言うとこういうことかと思います.そのためにも幼少期はとくに色んな物を見たり聞いたりするのが良いのでしょう.

よく国語,とかく現代文は論理の科目だと言われます.論理的に文章を読めば必ず正解にたどり着けると.僕は国語は専門外であまり明るくございませんが,これだけ流行ってるのだからもちろん,そのとおりでしょう.しかし,それだけではダメだとも思います.あくまで論理で現代文を解くのは一種の流行り.論理を使えば取り敢えずは誰がやっても客観的に答が出たように見える(実際出ているのでしょうが)ので持てはやされているに過ぎないのだと感じます.ましてや小中学生には論理なんてなかなか分からないのではないでしょうか.

疲れたのでこの辺で終わりにします.続くかも.

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風邪が・・・

どうも、学習空間八千代台教室・習志野藤崎教室の高橋です。

風邪がなかなか治りません。。。かれこれ一ヶ月近くやっているのですが、咳だけがまだ残っているんですよね。

なかなか治らない理由として考えられるのは、おそらく・・・・

もう治ったから大丈夫だとは早合点して、途中で風邪薬を飲むのやめてしまったことではないかと思います。

最後まで気を抜くなってことですね!!

みなさんも風邪には気をつけて、外に出るときはマスクの着用を怠らないでくださいね(特に受験生の皆さん!!)

そして、受験も最後まで気を抜いちゃダメですよ~!!

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