塾の日常

たまには語学以外の話も

こんにちは、学習空間八千代台教室・習志野藤崎教室の高橋です。

極めて私的なことになります。実は、私は来春に結婚を控えている身です。ですから、当然結婚式をするわけで、となるとチャペルで挙式をします。ところで、今、「チャペルで挙式」と言いましたが、「教会で」ではないことを強調しておきます。

「チャペル」と「教会」何が違うのか。ちょっとキリスト教の歴史をお話ししましょう。キリスト教といえば、もともとは「カトリック」という宗派があり、そこから「プロテスタント」に枝分かれしていきました。カトリックからプロテスタントに分かれた流れは皆さんも歴史で勉強したでしょう。1500年代、財政難に苦しむカトリック教会が、免罪符というお札をドイツ国内で売り始めます。「このお札を買えば現世での罪はすべてチャラ、必ず天国に行けるようになりますよ」。とても怪しいお札。これをルターが批判して「プロテスタント」が誕生します。

実はチャペルと教会の差もここにあります。プロテスタントの人たちが集まりに使う建物を「礼拝堂」と言いますが、「礼拝堂」の英訳が「チャペル」です。なお、プロテスタントの人たちは「聖書」以外のものを信仰のよりどころとしないので、その意味ではチャペルはファミレスと同様に単なる場所にすぎません。ですから、キリスト教徒以外でも自由に使えます。カトリックの人たちが集まる建物を「聖堂」と言いますが、一般的にはこちらの方が宗教施設としての色が濃く、同じ信者が集まる場所と言う意味で「教会」といいます。ですから信者以外にはちょっと入りづらいですね。そのほかにもいろいろ差があります。プロテスタントがチャペルで行うのは「礼拝」、カトリックが教会で行うのが「ミサ」。チャペルで礼拝を仕切るのは「牧師」、教会でミサを仕切るのは「司祭」。一般的にはカトリックの方が、儀式性が強いそうです。なお、日本のヘビーメタルバンド『聖飢魔Ⅱ』は自分たちのライブを『ミサ』と呼んでいましたね。

さて、話は変わりますが、私はキリスト教徒ではありませんが、キリスト教系の大学を出ています。で、宗派はというと、「カトリック」でも「プロテスタント」でもありません。「イギリス国教会」です。「イギリス国教会」とはどんなものか。まず、大学内には「チャペル」があります。そして、毎週日曜日に「礼拝」が行われています。「なーんだ。プロテスタントと一緒じゃないか」と思うかもしれません。しかし、礼拝を仕切っているのは「司祭」と「牧師」の両方です。二人いるんです。なんじゃそりゃ。

イギリス国教会の礼拝にはカトリック的な要素が多く含まれています。例えば、キリストの血と肉に見立てて、司祭が祭壇上で「おせんべいとお茶のようなもの」を口にします。同じ理由でカトリックのミサでは「パンとワイン」を口にするのですが、そのなごりでしょう。また、司祭は衣装もちょっと派手です。一方、教義(教え)面ではかなりプロテスタント的です。カトリックでは禁じられていた「富の蓄積(要は貯金ですね)」、「離婚(縁起悪いですが)」を容認しています。また、「人間が天国に行けるかどうかは善行の度合いでどうにかなるものではなく、あらかじめ生まれた時から決まっている(「予定説」)」の考え方もプロテスタント的です。なんでこんなことになったのか。

じつは、そもそも「イギリス国教会」はイギリス国王の私的な事情で成立しているんです。当時の王ヘンリ8世はキャサリンという奥さんがいました。二人は後継ぎとして男の子が欲しかったのですが、一向に男の子が生まれません。ヘンリ8世はそのうちにキャサリンのメイドをやっていたアンに恋をします。「キャサリンと離婚したい。アンと結婚したい。でも、カトリックでは離婚は禁止されている」。そこでヘンリ8世は考えます。「じゃあ、俺が新しいキリスト教をつくればいいのだ!!」。はい、すごい発想ですね。私たち日本人には思いもつきません。こうして、イギリス国王を首長とするイギリス国教会が成立したわけです。なので、「教え」はカトリックほど厳しくないわけです。貯金も離婚もオッケーです(なんか、私、不安になってきた。。。。)一方、儀式まで新たに考えるのは面倒だったのか、儀式はカトリック的なままなんですね。

そんなこんなで、私の母校は、ちょっと珍しいキリスト教の宗派です。というか、成立過程だけ聞くと、「こんな宗派で大丈夫かなぁ」感はありますww。でも、それは大昔の話、プロテスタントとカトリックの「いいとこどり」だと思って、来春挙式をさせていただきます。なお私の母校以外にも、キリスト教系の大学は日本にたくさんあります。上智(カトリック)、ICU(プロテスタント)青山学院(プロテスタント)、明治学院(プロテスタント)などですね。これらの大学はなぜか「英語ができる学生が好き」という共通点がありますが、もし自分に合ってると思ったら、目指してみるのもいいでね。もちろんキリスト教徒じゃなくても入学できますからご安心をwww

ではまたー
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学習空間科学相談室?

個別指導の学習空間 千葉エリア 習志野藤崎・西白井教室の竹村です。

もうほぼ夏休みですね。
夏休みといえば、小学生くらいの頃、ラジオで夏休みこども科学電話相談室?的なのをよく聞いたものです。

質問は大体一言ですが、相談者の理解のレベルに応じて、回答は真面目過ぎて理解しきれないものから、だいぶ誤魔化しが入ったものまでありました。
もっと簡単に出来ぬものかとか、もっと詳しくとか、今の自分には理解できぬとか、そんなこと思いながら聞いてた記憶があります。

思えば、私が物理がやりたいと思った源流の1つは、そこにある気もします。
身近な疑問に対して解答できるか、という観点では、物理の守備範囲はなかなかのものです。
上は宇宙に気象、下は素粒子に深海、だいたい全部物理ですね。
今や、当時の疑問の大半に、何かしらの答えが出せますよ!(深まっただけのもありますが)

そういうことで
夏休み中、生徒の理科に関する質問を受けます!
※実は先生・保護者の疑問なんだけど?構いませんよ!
応募は直接でもlineでもここのコメント欄でもなんでも結構。
私の知識の限りお答えさせていただきます。
モノによってはこちらで内容と回答を報告したいと思います。
もしかしたら自由研究のヒントになるかもしれませんね…!

「褒める」ことの難しさ

個別指導の学習空間、四街道東教室・佐倉臼井教室長の桑原です。
時が経つのは速いもので,気がつけば今年もあと半年.すべての中学校の定期テストが終わって,本格的に受験モードに指導も切り替わろうかとしているところ.
テストが終わった生徒達には2週間の詰め具合や精神性を踏まえたフィードバックをひとりひとり行いながら,次の目標を立てて,勉強計画や自分の苦手や弱点を考えてもらっている.
単純に「褒めるだけ」で終わることを目的として行っているわけではない.
過程と結果をきっちりとすくい上げて褒めることを大切にして日々指導にあたっている.

塾講師のみならず,保護者など子どもの面倒を見る立場の人ならだれしもが「褒めることがまず大事」「褒めることで子どもは成長する」「一つ一つの行動を褒めて伸ばしてあげよう」などの教育論を見聞きしたことはあるでしょう.
これらは学力向上の期待というよりか,子どもの成長に向けた,人格・性格的向上に向けた期待を含んだ子育て論としてしばしばテレビやニュースで取り上げられる.
他にも「万物への感謝こそが情操教育において有意義だ」というようなものもある.

確かに褒めることは大切だが,やたら滅多に褒めちぎることが正しいとする論調には賛同できない.
もちろん,厳しい態度をとることで淡々と課題追求する姿勢を保つこともまた賛同できない.
何でもかんでも生徒の良いところを作って伝えるだけというわけにはいかない.目を背けたくなるようなことでもきちんと伝えなければならない.
生徒の都合に合わせて褒めつつ,叱るときは叱り,生徒の良い顔も嫌な顔も受け止めた上で学力課題を追求していく姿勢こそ講師として大切だ.
学習空間では個々の生徒に合わせた指導ということで「個別指導」を名乗らせてもらっているが,それは「生徒の都合にすべて合わせる」という意味ではない.
生徒とって都合の良いように「勉強」を捉えられるわけにはいかない.
都合の悪いことに目を背けるクセは,一度付いてしまうと治すことが難しい.
ましてや,そういった勉強法では大学受験では到底歯が立たないことがほとんど.
きちんと己の出来・不出来を真正面から捉える視野を持つための心構えこそ,課題追求する姿勢を育む上では必要不可欠と言えよう.
部活動でもそうだ.上手くなりたいという目的があるからこそ「練習」という手段を取るわけで,なんとなくこなすだけでは実力はあがらない.
目的と手段を履き違えてはいけないのだ.
確かに「勉強」をする上では困難がつきまとうし,好きではないがやらなくてはならないと考えている子どもがほとんどなので,部活のようには頑張れないと思う理由はわからなくもない.
ただ,部活と同じくらい,生徒には沢山失敗して欲しいのだ.失敗していくうちに,やがて成長につながるように自分の経験を活かす練習は大いに役立つことだろう.

生徒にもこういった精神性を持つことの大切さは伝えるようにしている.

「自分のことを褒めてばっかりくる人だけでなく,自分の壁になってくれる人や自分に気づきを与えてくれるを信頼しよう」

「塾ではたくさん恥をかいて,たくさん失敗して欲しい.今が良ければいいという感情論ではなく,目標のために自分にどれだけ厳しくなれるかという点で勉強について考えていこう」

勉強を進めていく上で一番の障害となりうるのが「自分の感情」である.そこに対してどこまで厳しくなれるか,という点においては才能の差などない.褒める=気分を良くするとならないように,締めるところをしっかり締めていく指導を追い求めて.
それではまた今度!
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理科屋の虫対策

個別指導塾の学習空間、習志野藤崎・西白井教室の竹村です。
温度、上がってきましたね。
虫、増えてきましたね。。。

この季節、どうしても虫と無縁とはいきません…
ただね、地球上、人間だけ生きてるわけじゃありませんからね
多少の事なら、穏便にすませたいものです。

さて、室内に運悪く入ってしまった虫にはいくつかの末路があります。
なお、以下、大体は米粒以下のサイズの羽虫です。

○誰にも発見されずor気にされずそのまま
教室内に餌が無いうえ、脱出経路も非常に限られます。
つまり後日死体として発見されます。
あるいは、発見すらされずにそのうち箒で掃かれます。
文面にすると悲しい末路ですが、教室ではよくある話です。

○発見され潰される
穏便の正反対ですね。あんまりやりたくないですが、小さすぎる虫はそうなってしまう場合多し。
なんて、小さいのは通常気にならないので良いですが、蚊だと容赦なくこれですね。
ただ、私は教室で蚊に刺された記憶がないですし、見つけることもほぼ無いです。
以下、一部は憶測ですが…
蚊は大体湿気の多い所を好むため、建物の北側に入ることが多いです。
(中1はそんな話理科でやっているハズ。植物の分布以外でも利いてきます!)
でも、常に陰になる北側って、あまり出入り口にしないです。
私の居る教室も、北側の出入り口はいわゆる裏口ですね。普段は出入りしません。
その上窓等の開放部分も一切ないので、蚊があまり入って来ないんじゃないかと。
なお、蚊に悩む家は、大体北側に開放している窓または出入り口があるかと思います。
なるべく開放しないようにすると、少し違ってくる可能性がありますね。

○発見され、捕獲のち屋外に追放される
一定のサイズがあり、かつ動きが緩慢な場合です。
カメムシが飛来すると特にこういう展開になります。不用意につぶすと臭いですし…
なんて、元虫取り少年ならこれで良いんですが、虫が間接的にでも触れない人はこの選択肢が無いですね。
また、掴むこと自体が危険or極めて困難な虫も中にはいます。
すると、下のパターンに…

○発見されたが排除されずぶんぶんする
一定のサイズがあるものの、動きが俊敏すぎるor何らかの理由で触れない場合ですね。
以前、学校でスズメバチ系の大型の蜂に侵入された事がありました。
気持ち悪いだけなら殺虫剤という手もありますが、蜂だと半端な手出しは却って危険です。
対処法ですが、昼間なら、室内の照明を全て落とし窓を開放することで、大体は出ていってくれます。
洗濯物入れているときに虻っぽいの入ってきちゃった、とかは大体これで穏便に済みますね。
夜の場合は効くかやったことないですが…万が一そうなったらお祈りするしかないでしょう。

ゴキブリですか?残念ながら穏便ではないルート確定です。
あれは何故か穏便に済ませられない…謎です。
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旅先での悲劇(._.)

個別指導の学習空間,四街道東教室・佐倉臼井教室の野依です!

最近,教室の中3生達は,「修学旅行」という学校生活の中でも一大イベントの行事に参加しています.そうです,修学旅行は一生の思い出に残る行事なんです!!

私自身,中学では「京都・奈良」,高校では「沖縄」に行きました.特に沖縄への修学旅行は個人的にかなり印象に残っています.どれくらい印象に残っているかというと,高校卒業後も「また同じメンバーで沖縄に行きたいね」という話になり,修学旅行で訪れた名所に,個人旅行でもう一度行ってしまうぐらいです!

今回はそんな2回目の沖縄旅行で起きた,ある悲劇のエピソードを紹介します.
(修学旅行の思い出話でなくてすみません.....)

沖縄といえば,暖かくて海がきれいですよね!そこで,修学旅行でも体験した「マリンスポーツ」をやることになりました.マリンスポーツと言っても色々あります.海の上空を飛ぶ「パラセーリング」,海に潜る「スキューバダイビング」,水上バイクに繋がれたボートで海を走る「バナナボート」などなど...とにかく沢山あるわけです!

で,私を苦しませたのはこれです↓

楽しそうですね...いわゆるチューブ系のアクティビティです.チューブは水上バイクとロープで結ばれており,バイクを運転しているお兄さんがハイテンションで海を暴走します.すると,ロープで繋がれているチューブは非常に激しい動きをします.運転しているお兄さんも仕事ですから,お客さんを楽しませようと全力で海に振り落とそうとしてきます.上の写真だと3人乗りですが,4人グループで行ったので今回は2人ずつに分かれました.私はK君と乗りました.彼とは中・高同じ学校で,高校では3年間同じクラスです.実は幼稚園も一緒でした.彼はいつでもハイテンションでとても陽気な性格です.

さあ,そんなK君といざ出航です!運転しているお兄さんも楽しそうに暴走します.それに伴い,チューブも暴れます.そして極めつけには,チューブをグルングルン回し始めました.なかなか海に振り落とされない私達にお兄さんも苛立ったのでしょうか.激しい遠心力で,振り落とされそうになります.するとふざけたK君が何を思ったのか,私の方に寄ってきたのです.当然チューブは傾きます.バランスを崩したチューブは,遠心力を保ったまま転覆し,目の前が美しいエメラルドグリーンに染まりました.

いえ,それだけではありません...顔に痛みがふつふつとこみ上げてきます!皆さんは経験がお有りでしょうか?学校のプールの水面に体を打ちつけて痛い思いをしたことを.経験が無い方は手のひらで水面を叩いてみてください.その現象が転覆した勢いで自分の顔面に起きたのです.私は美しい沖縄の海を鼻血で真っ赤に染めてしまいました.お魚さんごめんなさい....

幸い,血はとまり,途中になってしまったマリンスポーツを再開することになりましたが,先程の事件もあって心の底から楽しむことはできませんでした.それよりも恐怖でいっぱいで,振り落とされまいと必死に掴まっていました.また,心なしかさっきと同じ運転手のお兄さんは,優しめの運転に変わったような気がします.

この日以来,私は海が怖いです...マリンスポーツなんて絶対しないと誓いました!
旅行って楽しい思い出だけではありません.私のように一生の心の傷を負う可能性だってあります(笑)しかし,これに懲りずに,沖縄はとても素晴らしいところなのでぜひまた行きたいです!みなさんも旅先では羽目を外しすぎないように十分気をつけて下さいね.

ではまた!次回のブログでお会いしましょう.

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GWにやったこと

個別指導塾の学習空間、八千代大和田教室・鎌ヶ谷教室の川田です!

みなさんこんにちは!
GWはいかがでしたでしょうか?初の10連休ということでたくさん遊んで、たくさん休んで、たくさん勉強して(?)と様々なことが出来たのではないでしょうか?
こんなに休みが続くことは社会人になってからは無かったので、たくさん色々しました!!寝て、遊んで、本読んで、寝て…(寝てばっかりですね笑)
それはそうと連休中、山菜を食べる機会がありました。タラの芽やコシアブラを天ぷらで頂くのは最高ですね!ただ山菜の青臭さや苦みなどが苦手な人もいるみたいです。他の季節の食材にはない風味があるのもまた山菜の魅力だと思います。春はそういった「風味」を楽しむ季節なのかも知れませんね。
もう暑くなってきましたがまだまだ春を楽しめます。山菜、おススメです(笑)

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5月病

こんにちは!
個別指導塾の学習空間、八千代大和田教室・学習空間プラスの田中です(*^_^*)

新年度から1ヶ月が経ち,気づけばもう5月ですね!
5月と言えば大型連休のゴールデンウィークがありますね.素晴らしい!!

しかしGWが過ぎた頃から,何となく学校や仕事に行くのがだるいな~と意欲が失われる経験がある方もいらっしゃると思います.いわゆる5月病ですね.
新しい環境で慣れないことや人間関係で心身にさまざまなストレスがかかることが原因だと言われており,医学的には「適応障害」や「うつ病」と診断されます.真面目過ぎる人や頑張りすぎる人は大きなストレスを感じやすいそうです.

私も過去に適応障害(五月病)と診断されたことがあります.負けず嫌いなので,人によく見られたい,頑張らなきゃと自分を追い込む傾向にある半面,お豆腐メンタルなのでよく腹痛になったり,過眠症に近い症状が続いたこともあります.ですので,新しい環境や休み明けで気持ちが沈んでしまいがちになります.暗いお話ですみません(T_T)

怖いのは,何となく休んだ5月病から完全に引きこもりになってしまうことです.しかし改めて考えてみると,物事の捉え方次第で無駄に落ち込まなくてもいいのかなと思います.自分が思っているよりも大して周りは自分のことを見ていないし,失敗してもいい,逃げたいときは逃げればいいと思います.
太陽の光を浴びるだけでも結構違うみたいですよ!夜に悩むほうが鬱になりやすい傾向があるので,落ち込んだ日は夜更かしなんかしないで早く寝ちゃいましょう!心もお肌もピカピカ(笑)
また,休み明けの学校・仕事では些細なことでも良いのですぐに次の楽しみを作って,そのために頑張ろうという気持ちで乗り越えていきましょう♪

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理科と釣り(屈折に偏光)

ご無沙汰してます。個別指導塾の学習空間、習志野藤崎・西白井教室の竹村です。
新学期目前ですね!今の生徒がまた受験直前に泣かないよう、いろいろ伏線を張り巡らせる日々です。

ところで、少し前、受験がひと段落したころ、釣りに付いて行きました。文字通りの魚釣りです。
誤解を恐れず言えば、私釣りには興味ないです。魚というか、生き物には少し興味ありますが、そんなもんです。
モン○ンの釣りなんかもまどろっこしくて、可能な限り網で捕獲してたような人間です。
なので、それまで釣りなんて行こうと思ったことも無かったわけですが、誘われて行ってきました!(実は二回目)

自分じゃ行かないところって、行くと結構発見あるんですよね。
恥ずかしながら、魚捌くのがあんなに大変とは知りませんでした。
行きたくない強い理由でもない限りは、何事もやってみるもんです。

物理屋さんとしては、水中の魚が非常に見えにくい理由は語れるところでしたね。
一番大きいのは、水中からの光が水面(水中側)で全反射してしまうというところでしょう。
この現象のため、どんな透明な水であろうと、そもそも空中側からは、自身から一定の範囲内しか見えません。
その範囲内であっても、濁っているから深いところが見えないという事もあります。
さらに、水面での、空中側からの光の反射で見えにくいのもありますね。
基本的に水中側は暗いため、ちょうど夜中にガラス窓越しに外を見るような状態になっています。
主にこれらの要因で、水中の様子はほとんど目視ではわかりません。
ただ、偏光板で反射光を遮ることで、この水面での反射による見づらさはだけは軽減できます。
反射時に振動方向が偏っているため、そうでない光に比べ、偏光板に遮られやすく、結果、水中からの光がよく見えるんですね。
スキーなど使うゴーグルも同様の原理で、雪による反射光を軽減して、周囲の光景を見やすくするものがあると聞きます。
…つまりスキー用ゴーグルでも水中がよく見える…のかな?だれか持ってたら試してみてください。

とにかく水中は見えませんから、餌に魚が食いついたかどうか、最初全然わかりませんでした。
浮きが沈むって、ガッツリ食いついて暴れればとにかく、エサつついてる程度だとよくわからんですよ。よそ見すると見逃すし…
釣り糸張っておくと(これも力学的になかなか楽しい状態になってそうですが)、その点手でわかってやりやすかったですね。
ただ、これも何回か釣るまでは、水流や自身の動きによる手応えなのか、魚がいるのか、区別がつかなかったです。

普段当たり前のように魚食べてますが、これ獲って捌くまで、どんだけ手間暇と工夫と重ねてるんだとか
それにしても浮きとおもりの仕掛け、本当によく考えられたもので、リールも、あれそう単純な仕掛けじゃないですよね。
竹竿にタコ糸とスルメ付けてのザリガニ釣りしかやったことない身としては、こうも工夫ができるのかと、
逆に、仕掛け(網とか船とか)があまりなく、簡単には獲れなかったであろうふた昔前の人すげーなとかとか
そりゃこんだけ待ちの時間あったら、餌とか生態とか調べて効率よく釣ろうって気にもなりますよね
…生物学って分野の発展にはそういう背景もあるのかな?とかとかとか

なんだかんだ結構楽しいわけですこれが。普段やらん事やるって、いいですね!
今年のゴールデンウィークはチャンスですよ!
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良い先生とは?~「先生」のもつべき要素とは~

個別指導の学習空間、四街道東教室教室長・佐倉臼井教室講師の桑原です。
今年もあと少しで終わりですね!学習空間では冬季講習が始まっており,受験生の追い込みの時期に携わっています.
毎年思うのが,生徒たちの「顔」の変化です.退路を断たれて焦る気持ちに,勉強するという覚悟で応戦しています.
桶狭間の戦いにおいて奇襲をかける前の織田信長のような,「覚悟をするしかない」状況に自分を追い込んでいるのです.
覚悟を顔から感じる生徒は最直前になったときに成果が反映される印象があります.
そのような環境の変化に決して胡座をかいてしまわぬように,前を見て目標を見失わぬように,塾講師とは淡々と生徒に向き合わねばならない時期です.

さて,今日は塾を選ぶ際のポイントとして「良い先生の見つけ方」について話していきたいと思います.
以下項目ごとに話題をあげていくので,皆様の先生選びのポイントになったら幸いです.

① 勤勉であること
勉強の仕方を教えるわけですから,先生自身も学び続ける姿勢を保たねば,生徒に対して無礼です.
「勉強を教える」・「点数を上げる」だけではなく「思考を教える」という側面も持ち合わせているのがわれわれ塾講師なので,どれだけ生徒に対し真摯に向き合っているかの指標はここにあるのではないでしょうか.
ただ,「良い先生」は「生徒との距離を近づけるため」にではなく「適度な距離を取る」ために勉学に励んでいるので,生徒の気持ちにばかりすり寄る先生は良い先生と呼べないでしょう.

② 思考の柔軟性
他者や生徒からどれだけ学び取り,状態を察知して動くのか.
また,自分に足りない情報を生徒のために学んでいこうと思えるだけの行動力を持っていることは重要な要素としてあげられます.
「ムリ」「厳しい」からといって生徒の成長限界を決め打つのではなく,他の分野から多角的に選択肢を模索する行動力こそが講師としての力量を決めます.

③ 謙虚であること
②とやや内容が被るのですが,他者や生徒に対して真摯な教育を施すのであれば,自分の実力や実績に満足せず,謙虚な姿勢を保ちつづけることが重要です.
謙虚さがないと物事をフラットに取られることができないので,柔軟な思考で物事に対するために必要な要素だと感じます.

④ 生徒の努力に敬意を払えること
勉強を教える立場を何年かやっていると,生徒に対して,自分が勉強するときと同じ気持ちで解いていると錯覚してしまうときがあります.
「学び取る」という感覚は生徒一人一人,ひいては人間一人一人違うはずなので,「自分こそが正しい」という感覚は危険極まりないのです.
また,勉強に対して理由を持って定義づけをしているのならば,それは哲学であると呼べるので,そこに対してどれほど敬意をはらえるか.
生徒が「こういうやり方で勉強を進めよう」と漠然と感じていることだって哲学と言えます.
続けていることに対しては敬意を払うべきで,結果が伴っていないだけでぞんざいに扱われるのはフェアな扱いではありません.
趣味や部活動は続けることこそ正義,といった論調で語られるのに対して,勉強には続けることに敬意を払われることがないのはおかしいですよね.
少し話がそれましたが,こういった生徒の哲学に敬意を払いつつ自分のできることをするのが良い先生と言えましょう.

⑤ あきらめないこと
生徒は熱しやすく冷めやすいです.モチベーションが上がるときがあれば反対に落ち込むときだってあります.
落ち込んだときにも,先生があきらめないことは重要なスキルであると言えるのではないでしょうか.
また,あきらめが悪いからこそ教育に携われるところはあります.生徒の成長限界を決め打ちせずにできるところまでしっかり伸ばしていく.
理想論ではありますが,理想なくして教育なしです.

私は生徒に依存されない塾を目指していて,一番大切にしていることは「生徒に選択をしてもらう」ことです.
勉強しなくて助かるのも困るのも自分次第.やると決めたら素直にやりきる覚悟を持って臨んでいけるように,環境を整え,勉学に励み,日々己を磨いている最中です.
長くなりましたが,なにか参考になるところがあれば幸いです.では,また.

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未来の辞書

こんにちは。学習空間八千代台教室・習志野藤崎教室の高橋です。

いきなりですが、私は語学好きです。具体的には、ドイツ語、英語、そして最近はイタリア語もやろうと思っています。ところで、「辞書」そして「文法書」、これらは語学を学ぶ人にとって欠かせないアイテムです。皆さんも英語の長文を読むときには、まるで「お守り」のように手元に辞書や文法書を置いているのではないでしょうか。「わからない単語、文の構造が出てきても、もう安心。俺の手元にはメシア(救世主)がいるのだ」と感じているかもしれません。今回はこの辞書について私が思っている事を書き連ねていこうと思います。なお、ここでは「語学学習」に使う辞書に限定して話を進めていきます。従いまして、もっぱら英和辞書の話になります。

そもそも辞書はどのようにして編纂されるのかお話ししたい所ですが、その前に、まず「ことば」の特性についてお話していきます。ソシュールによれば、「ことば」とその「意味」はただ社会の中で「約束事」として共有されているだけとのことです。たとえば、かつては whom という単語で「whoの目的格」を表していたのに、いつの間にか who だけで主格・目的格を表すようになりました。大昔、二人称の単数形は thou という専用の単語がありましたが、二人称複数の you が兼任することになりました。もともと dog という単語は「オス犬」の意味です、「メス犬」は bitch と言いました。でも今はオスもメスも dog です。 bitch の方は、「女性に対する蔑称」としてのスラングになりました。このように「言語表現(シニフィアン)」と「意味(シニフィエ)」の関係は恣意的で「社会内でそうしようと認定されているにすぎない。だから、もっと楽な選択肢があればそっちに変えよう」となります。上の例では、複数あった言語表現が一つに統合されていく様子が分かりますね。言語はエコが好ましいのです。

さて、そうなると人間の気分次第で新しい表現が生まれる事になります。そして、それが個人間ではなく、広く一般的に使用されるようになると言語学者の先生方が動き出します。この人たちは、最新のコーパス(人間のあらゆる言語活動を記録した膨大なデータベース:インターネットの検索エンジンなど)を手がかりに、新しい単語および単語の使われ方に目を光らせています。その時に特定の流行語や方言が広い範囲で使われている事を発見すれば、その言語表現は長い時を経て審議にかけられ、そのうちいくつかは最終的に辞書に収録されるのです。一方、紙面には限りがありますから、新しいものを収録したら、何かを削らなければなりません。その際は、「古くなって誰も使わないもの」、逆に「十分に人々の間に普及し、わざわざ辞書に載せなくてもわかるだろう」となった言語表現が削られていきます。辞書の編纂作業はこのようにして行われます。

辞書は、まるで「憲法」の様なものです。社会の移り変わりに合致させるように憲法も変わってしかるべきで、その際、もともと記載されていた事項を優先するあまりに、最新の現状を反映できないとしたら本末転倒です。同じようなもので、辞書の内容も社会に合わせて日々バージョンアップを繰り返しています。しかし、辞書には憲法の様な「拘束力」はありませんので、自分の言葉の使い方が辞書の記述と合致していなかったとしても、それが間違っているとは限らないのです。むしろ、目的格のwhoの例でもあったように、もともと間違っている表現でも多くの人が使うようになれば辞書にも載るのです。ここでもうひとつ例を。where の用法に「接続詞のwhere」と言うのがあります。この用法は高校でもあまり扱わないのであまり知られていませんが、辞書には確かに「whereには接続詞としての用法がある」と記載されています。いつからかは分かりませんが。しかし、高校で習わないことを考えると、かなり揺れている表現だと推測できます。ちょっと見てみましょう。接続詞のwhereとは次のようなものです。

We have to rent a car where we are visiting next week.
(来週行く予定の場所では、レンタカーを借りなければなりません。)

一見すると関係副詞のようにも見えますが、違います。先行詞が無いからです。また、

Where we are visiting next week, we have to rent a car.

のように主節と従属節を入れ替えることもできます。この振る舞いは接続詞のwhenにそっくりですね。英語ネイティブでもないのに大変恐縮ですが、これももともとは誰かの間違いから始まった表現ではないかと私は思います。多分誰か(ミュージシャンか新聞記者か大学教授かは分かりませんが、それなりに影響力のある人)が先行詞を省いた、もしくは言い忘れたのだろうと。一方で、英語には先行詞を必要としない不定関係代名詞がちゃんとあります、さらにwhenも接続詞ならwhereもいけるだろうという一連の類推も手伝って多くの人にすんなり受け入れられたのだろうと。その結果、辞書に乗るまでの地位を獲得したのではないでしょうか。

長くなりましたが言いたいことは次の通り。辞書の記述は社会の変化に合わせていくらでも変わってくる。だから単語の意味を調べるときも辞書を絶対視し過ぎるべきではないし、そもそもそういう使い方で辞書に接するべきではないよ、ということです。むしろ、言葉の変化の軌跡をそこに読み取り、この先どのように言葉が変わっていくか、それを予測するために辞書を使えたらいいでしょうね。

ではまたー!!
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